MGTで生涯おじさん宣言

「45歳セミリタおじさんの10年後」のタイトルを変えました。45歳で21年半勤めた会社を早期退職。1年間フラフラした後に現在はビル設備管理の仕事を月に10日。毎日のんびり暮らしていますが、老人になる前に最後の悪あがきをしています。同世代(か少し下の世代の)のガールフレンドが欲しい!お金ももっと欲しい!気がつけば最近は金(投資)と女の事ばかり書いてます。

夢や希望がない50代のおじさんは残りの人生をどうすれば良いのか?

このブログを作成したしたのは2年前の5月8日、ということに先程たまたま気づきました。明日で2年じゃないですか!

2年間でこの記事を合わせて169記事を投稿しているようです。約4.3日に1記事。

まあ、もうすぐ2周年だからと言って特に何もないし、心境の変化もないし、心機一転がんばるぞということもないし、これからも書きたいことを書きたい時に書いていくだけです。

人生の目的 自分の探し方、見つけ方

 

さて、私には夢や希望がありません。

そもそも夢や希望とは何でしょうか?

私の定義ですが、両方とも将来に成し遂げたいことだと思いますが、両者の違いは「現状」の違いなのかなと考えます。

つまり夢を願っている「今」は可もなく不可もなくというレベル。もし夢が叶わなくてもなんとなく普通に生きていけますというレベル。

一方、希望を持つというのは「今」がどちらかと言えば絶望的な状況にあり、それを良くしようと思っているということ。希望が叶わないと人生を悲嘆してしまうかもしれないという状況。

と、個人的にはイメージしますが、しっかりとした夢や希望があって、それに向けて努力して、そして少しずつ成果が出ている人は充実感を感じるんだと思います。

日々が充実していること、それを幸せと言うのだと思いますが、では私はどうかというと、夢も希望もなくほとんど充実感を感じることがありません。

セミリタイアしてのんびり過ごせているので、これから大変な努力をして何かを成し遂げたいという思いがないのです。

それが日々の生活が退屈に感じる原因なのだと思います。

たとえば10代や20代の若者が「勉強して◯◯になるんだ!」というような夢がある時は、大変かもしれませんが、充実感のある日々を送っているだろうし、中高年になって仕事に追われて死にそうな毎日でも「あと何年で家のローンも払い終わるし、子供の教育資金にも目処がつくぞ。そしたらセカンドキャリアについて考えることができるぞ!」という希望があれば、こちらも凄く大変だと思いますが、少しずつ問題をクリアしていっているという充実感があるはずです。

それに対して、私は本当に充実感というものがありません。大変ではないけど充実感もない。

毎日のんびりしているけど幸福感も特にない。

では、夢や希望がない私のような人はどうすればいいのでしょうか。

それはやっぱり「楽しみ」を持つことなのでしょう。

夢や希望に比べたらきっと充実の度合いは低いような気もしますが、これしかないのかなーと思ったりします。

楽しみとは趣味だったり人との交流だったり、その両方だったりでしょう。

でも、このブログでも散々書いてますが、それが難しいんですよね。

趣味も続けていけば新鮮味がなくなって充実感も薄くなってくるし、新しい趣味を見つけるのはかなり大変だし、人との交流も最初はいいけど、だんだん面倒くさくなるし。うーん。

ショッピングモールとかで平日の昼間に一人でベンチに所在なげに座っている初老のおじさんたちをよく見ますが、そういう人たちは楽しみを探そうとしたけど、結局見つからなかった人たちなんだろうなあ。自分も近い将来、ああなるのかなーと思う今日この頃です。