MGTで生涯おじさん宣言

「45歳セミリタおじさんの10年後」のタイトルを変えました。45歳で21年半勤めた会社を早期退職。1年間フラフラした後に現在はビル設備管理の仕事を月に10日。毎日のんびり暮らしていますが、老人になる前に最後の悪あがきをしています。同世代(か少し下の世代の)のガールフレンドが欲しい!お金ももっと欲しい!気がつけば最近は金(投資)と女の事ばかり書いてます。

父親の死は私の2度目の死でもある

勝利の朝…という感じで朝のスタバで勝利の余韻を味わっています。アイスコーヒー(氷少なめ)で乾杯!

グズグズと続いていた示談交渉にようやく終わりが見えてきたのです。

相手方は全面的にこちらの要求を飲む形で決着しそうです。

示談書を交わして正式に手続きが完了したら、またこちらのブログに書ける範囲で記事を書こうと思います。

さて本日はそれとは全く関係のない話ですが、昨日実家に帰りました。

事前に電話で母親と話した時に、「明日、誰かがお父さんのことでウチに来て色々と話す」と聞きました。

誰かって誰?色々って何?疑問だらけですが、父親の介護に関することのようです。

父親は88歳で、動作は遅くなりましたが、自力で階段の昇り降りができるくらい元気といえば元気です。

んー誰が来て何の話をするのか気になるので、私も同席させてもらうことにしました。

高齢者に関する法律相談

 

来訪されたのは地域包括支援センターのケアマネージャーさんでした。

父親は昨年、要支援1(ようしえん1)に認定されたようで(知らなかった…)、要支援1と2のレベルの人の家に来て体の調子を見たり、家の中で手すりなど必要な物がないかを確認したり、そういったアドバイスをして下さる方のようです。

必要なものがあれば、それを取り扱う業者の紹介もしてくれます。

介護保険が効く介護用品を取り扱っている業者の方も昨日は一緒に来られていました。

地域包括支援センターと業者と市役所の連携がちゃんと取れているという印象を受けました。

なるほど。だから最近、家の廊下や階段に手すりが付いていたのかと納得しました。

家の手すりは両親か、あるいは近くに住む兄が取り付けたのかなと勝手に思っていましたが、ちゃんと自治体で見守ってくれていたんだなと安心しました。

ちなみに要支援1と2の違いですが、ネットで調べたのですがよく分かりません。

要支援はまだ介護が必要ではないけれど、様子を見る必要があるというレベルです。

介護が必要になると要介護レベルとなり、介護レベルが1番低いのが要介護1で、1番高いのが要介護5です。

要支援から要介護になると、地域包括支援センターから別の機関に連絡が行くようになっているようです。

ということも昨日初めて知りました。

話を戻しますが、要支援1と2ですが、1は支援すら要らない「自立」という状態に戻る可能性がある状態なのかなと調べた限りでは思いました。

要支援2は1より進んで、このままだと要介護ですよ、という状態なのかなーと。

ただ、1と2の境界線がよく分からず、何が出来なくなったら1から2になるのかを知りたいです。

その辺は役所の人が定期的に見に来られて認定するようですが、その人たちの主観なのかなー?


これまで両親とも元気でしたが、昨年辺りからさすがの父親も体力が目に見えて落ちてきて、このようにいよいよ私も介護について考えたり調べたりしないといけない時期にきたようです。

悲しいことですが、10年後には父親はこの世にはいないでしょう。

5年後かも知れないし、父親自身の予想では2年後とのことです。


「人は2度死ぬ。1度目はその人が死んだ時で、2度目はその人を知っている人が死んだ時だ」というようなことをよく聞きます。もしも父親が死んでも私が生きていれば私の中で父親は生きているということですが、もう1つの解釈として、父親が死んだら、私のことを知る父親がいなくなるわけですから、私も死ぬ(父親の中で)ということですね。私の(2度目の)死も同時に来るわけです。


人生の最後を懸命に(表面上は穏やかにですが)生きている父親を見ていると、色々な思いが湧き上がってきます。